2013年3月6日水曜日

海外の憲法改正ってそうなってたんだ!来たる国民投票に備えて最低限の知識を

【憲法改正要件の性質】

憲法改正要件が緩和されれば、憲法改正回数が増えるとは必ずしもいえない。が、憲法改正要件が制度として緩和されたほうが、憲法が改正しやすくなることには疑いようがなかろう。一般的には、憲法改正手要件は、次のように説明される。

日本国憲法は硬性憲法(通常の法律の改正手続きよりも厳格な手続きを必要とする)であるが、これは安定性と可変性という相互に矛盾する要請に応えるために考案された技術である。憲法自身に定められた憲法保障制度(憲法の崩壊を招く政治の動きを事前に防止し、または事後に是正するための装置)でもある。改正要件を厳しくし過ぎると、可変性がなくなり、憲法が違憲的に運用されるおそれが大きくなるし、あまり改正を簡単すると、憲法を保障する機能が失われてしまう。そして、日本国憲法の改正要件(両院の総議員の2/3以上+国民投票で過半数)は、他国に比べて硬性の度合いが高い(変えるハードルが条文上は難しい)。(芦部2007、357,375頁)

安定性や可変性といった問題も確かにあるとは思うが、それよりもずっと重要な視点がある。それは、「国民が望む憲法になっているか?」という点である。

国民が「安定性」を望むのであればそうなるべきだし、国民が「可変性」を望むのであればそうなるべきである。「国民が望む憲法」になっているのであれば、それは国民の意思が反映された後で、国民自身が判断すれば良いことであるから、時と場合によって変わる程度問題としかいいようがない。

そもそも、「国民が望む憲法」にすることができないのであれば、それは国家権力を制限する主体であるはずの国民が、国家権力または自らの手によって、自ら制限の客体となっていることにほかならないのではないか。これをどう理解すればよいのか。この点は、別のページで詳しく論じる。

また、憲法保障の観点からも、硬性憲法の制度が果たして本当に適切なのか、疑問が残る。それについても、別のページで述べる。




【諸外国との比較?】

諸外国と日本を比較して、各国は何度も憲法改正をしているのに、日本だけ一度もしたことがないというのはおかしい。日本が憲法改正を一度もしたことがないのは、憲法の改正手続きのハードルが諸外国と比べて厳しいからだ。だから、日本も改正手続きの要件を緩和して、憲法改正しやすくするべきだ、というような議論がある。諸外国の憲法改正回数は、以下の通りである。

1945 年の第二次世界大戦終結から 2010 年 7 月に至るまで、アメリカは 6 回、カナダは 1867 年憲法が 16 回、1982 年憲法が 2 回、フランスは 27 回(1958 年の新憲法制定を含む)、ドイツは 57 回、イタリアは 15 回、オーストラリアは 3 回、中国は 9 回(1975 年、1978 年及び 1982 年の新憲法制定を含む)、韓国は 9 回(1960年、1962 年、1972 年、1980 年及び 1987 年の新憲法制定を含む)の憲法改正をそれぞれ行った。(「諸外国における戦後の憲法改正【第 3 版】」国立国会図書館『調査と情報』687号(2010.8.3.)から引用)

当然ながら、憲法改正の数が多ければ多いほど良いというわけではなく、日本が、戦後、新憲法施行後、一度も憲法改正をしていないからといっても、元の憲法が素晴らしいために改正する必要がないのであれば、それはそれで望ましいことである。

むしろ、憲法改正が頻繁に起きる、という状況では、政治的には不安定になる場合もある。政治的に不安定だからこそ、憲法改正(あるいは新憲法の制定)が頻繁に起きることもある。諸外国の憲法改正の数が多いのも、戦争などの動乱に多く巻き込まれてしまったからで、不幸な結果からなのかもしれない。それは、日本が進んで模範とすべきものではなかろう。


また、その憲法の規定ぶりが、明確か抽象的か、というのでも違う。日本国憲法は、抽象的な表現をしているため、その分、下位の憲法附属法・法律を変えることで、制度変更が容易な憲法といえる。たとえば、地方自治に関する条文は、主に第8章に4条しかない。地方自治法を改正すれば、それで大体は済んでしまう。

日本が地方自治法で定めていることを、外国では憲法で定めている場合は、日本で地方自治法を改正するのと同じ感覚で憲法改正がされているわけであり、憲法改正の数・頻度で日本と状況が違うのは当然である。

また、議会が一院制か二院制か、というのでも難しさは違う。

こういった様々な状況を加味しなければ、単純に日本だけ改正したことがないのはおかしい、という話にはならない。


問題とすべきは、「理想とする憲法にどれくらい近づけたか」ということであろう。


この点について、私の結論を先取りすると、現在の日本国憲法には欠陥がいくつもあるから、そのために改正が必要である。96条の改正要件もその欠陥の一つである。

現在の憲法をめぐる状況は、「国民が理想とする憲法がありながらも、それに近づくことが出来ない」というものであろう。これは、もどかしい。




【海外の憲法改正要件の状況(辻村2011、22,236,237頁)】

世界の諸憲法では、通常の法改正よりも厳格な憲法改正手続を定めている国が圧倒的多数である。

例外は、成文憲法をもたないイギリスやニュージーランドなど、ごく一部の国である。歴史的には、フランス1830憲章やイタリア1848憲章が軟性憲法として存在した。

概ね以下の5つに分類することができる。

①特別の憲法会議招集+厳格な議決・批准要件
アメリカ、カナダ、インドなど。

②特別の憲法会議の議決or国民投票による承認
フランス共和国憲法、ロシア連邦憲法

③議会の特別の議決+国民投票の承認
日本。韓国、デンマーク、スペインも類似。スイス、オーストラリアでも形態により国民投票の強制がある。

④議会の特別の議決or国民投票の承認
トルコ、スウェーデン、オーストリアの一部改正。

⑤議会の特別の議決
ドイツ連邦共和国基本法(ボン基本法)、ベルギー、オランダ、フィンランド。

②、③、④は、国民投票が重要な役割を担っており、主権者の直接的意思決定が採用されている。①と⑤では、むしろ主権者の直接的意思決定が回避されている。


以下は私見であるが、特にドイツについては、戦前のナチスが国民投票や住民投票といった形で合法的に独裁・ファシズムに至った経験から、なるべく国民が直接的意思決定をしないように制度設計をする傾向がある。

とはいえ、ドイツに限らず、国民投票・住民投票を必要となるに至った政治状況は、間接民主主義の行き詰まり・国民の不満から来ていることも多いと考えられる。

ロシアのエリツィン大統領のクーデター(1993年の10月政変)は、議会(人民代表議員大会および常設の最高会議)との対立の先鋭化(渋谷2012、458,459頁参照)、すなわち「間接民主主義の行き詰まり」が影響していた。

日常的に、国民が直接意思表示をする機会が整っていたならば、過激な意思決定をするのではなく、より望ましい政治が実現される可能性は否定できない。

日本でも、住民投票は、住民自治を強め、市民の直接的な政治参加による「人民主権(ないし市民主権)」実現の方向に進む点で評価されるが、憲法上の根拠や理論的な位置づけが必ずしも明確でなく、プレビシットとして機能する危険、情報不足や有権者の分析能力欠如等による世論操作・誘導の危険、住民投票の投票資格(16歳以上の投票を認める条例の合憲性等)と対象事項(少数者の人権侵害の危険)、諮問型住民投票における法的拘束力の問題などが指摘されている(辻村2011、234頁参照)。

これら直接民主主義的制度の欠陥や危険性が除去されるのであれば(たとえば、十分な審議時間の確保、国民への情報提供、投票の対象を細分化する等の対策)、②、③、④のような国民投票制度を採用することは、決して望ましくないことではなかろう(私見)。




【国民投票・住民投票】

以下、西修『現代世界の憲法動向』成文堂、2011、初版、59-63頁参照。

プレビシットは、法案それ自体ではなく、独裁的権力者がその権力を強化するために利用する(信任投票など)もので、民主主義になじまないものである。

近年、国民投票制度を採択する傾向が世界で多く見られるようになってきている(58の民主主義国家のうち、1975-2000年の間に国民投票をした実績があるのは、39カ国である)。90年代の諸国憲法をみると、68.9%の国家の憲法に国民投票制度が取り入れられている。

これは、国民主権の直接的表現、政党政治の限界(政党が国民の意思を十分に汲み上げることができない)、代表制民主主義の補完制度としての評価、グローバル化(ヨーロッパ連合への加盟など)、自己決定権の表明(妊娠中絶など)など社会の多様化と無関係ではない、とされる。代表制民主主義の有用な補完物、国家最高権力機関相互の衝突を解決する、アマチュアの持ち味を活用する等の意義が考えられている。

国民投票には、素人集団に判断を委ねる危険性、投票率低下による民意の信頼性に対する疑問、選択肢の単純化などの問題がある。


以下、小林節『「憲法」改正と改悪』時事通信社、2011、初版、164-167頁参照。

住民の利害が先鋭に割れてしまう問題については、議会も首長も立場を鮮明にすれば、次の選挙に影響が出ることを承知しているので、おじつけづいて何も決められなくなってしまう。この場合、住民投票なら、「住民が決めたのですから」という言い訳ができる。

しかし、それでは結局、議会がいらなくなってしまう。代議制民主主義の自己否定を引き起こすという矛盾が生じるので、住民投票をするのは、議会の機能不全が起きてしまうところをとらえて行えば良い。その手続はできるだけ簡潔に、冷静で十分な情報提供を行い、少し討論に時間をかけることを条件に行うべきである。住民投票の結果に法的拘束力をつければ、議会制の否定につながるため、その結果を「参考」にして議会に決めさせれば良い。冷静な熟議の民主主義という選択肢を捨てられるほど、われわれ大衆はまだ成長していない。

「選良」よりも「大衆」のほうが情報で扇動されやすい。大衆迎合的、マス・ヒステリー的になりがちで、必ずしも理性的で良質な決定をもたらすとは限らない。大衆は時に熟慮しない興奮した集団と化してしまう。熟慮を経た代議制には意義がある。

人はみな平等で、人間の価値に差はないというけれども、歴史的事実として、人の中にはやはり選ばれるべくして選ばれる人とそうでない人がいる。レディース・アンド・ジェントルメンを選出し、そこで十分な議論を行い、理性的に決定する。それを「みんなで支持した人が決めたのだから」と断った上で、実行するのが議会制度である。


以下、私見。

代議制民主主義と直接民主主義の長所をそれぞれ生かし、それぞれの短所を補う制度が望ましい。

直接民主主義的制度では、熟慮しない興奮した集団と化すことをどう防ぐかが大きな問題である。これについては、国民・住民に対して、その政策等がどのような効果と負担をもたらすのかを明確に知らせる必要があり、国の広報機能の強化(わかりやすさ、情報の到達率の向上等)にかかわる議論が必要となるだろう。

また、議会の情報発信の仕方を工夫(国民一人あたりのコスト・税金に換算して数値化するなど)することで、大衆をマス・ヒステリー的にするのを防止することができよう。




【参考となる海外の改正手続】

ロシアやカナダの憲法では、改正の対象内容によって、改正要件を変えている。日本の96条を考える上でも、参考になるものである。

ロシア連邦憲法(竹森2010、342頁)
第9章 憲法の全文改正および一部改正
第134条〔憲法改正の提案〕 ロシア連邦憲法の規定の全部改正および一部改正の提案は、ロシア連邦大統領、連邦会議、ロシア連邦政府、ロシア連邦の構成主体の立法(代表)機関、および連邦会議議員または国家会議議員の〔それぞれの〕5分の1以上の議員集団がこれを行うことができる。
第135条〔第1、2、9章の改正と憲法議会〕 ①ロシア連邦憲法第1章、第2章および第9章の規定は、連邦議会によってこれを改正することはできない。 ②ロシア連邦憲法第1章、第2章および第9章の規定の改正に関する提案が、連邦会議議員および国家会議議員の議員総数の5分の3によって支持された場合は、連邦の憲法法律にしたがって憲法議会を招集する。 ③憲法義解は、ロシア連邦憲法を改正しないことを確認し、または新しいロシア連邦憲法の草案を作成する。新しいロシア連邦憲法草案は、憲法議会がその議員総数の投票の3分の2によってこれを採択し、または国民投票に付す。国民投票が実施された場合、ロシア連邦連邦は、選挙人の過半数の参加を条件として、投票に参加した選挙人の過半数が賛成したときにこれを採択されたものとみなす。
第136条〔第3~8章の改正手続〕 ロシア連邦憲法の第3章ないし第8章の規定の改正は、連邦の憲法法律の採択の手続にしたがってこれを採択し、ロシア連邦の構成主体の3分の2以上の立法機関の同意を得た後にこれを施行する。
第137条〔第65条改正の特例〕 ①ロシア連邦の構成を定めるロシア連邦憲法第65条の規定の改正は、ロシア連邦への加入およびロシア連邦における新しい連邦構成主体の形成に関する連邦の憲法法律、ロシア連邦の構成主体の憲法・法的地位の変更に関する連邦の憲法法律に基いてこれを行う。 ②共和国、地方、州、連邦的意義をもつ都市、自治州、自治管区の名称が変更された場合は、ロシア連邦憲法第65条の該当する部分をロシア連邦の構成主体の新しい名称に改める。

なお、ロシア連邦憲法の1章は「憲法体制の原則」、2章は「人と市民の権利および自由」、9章は「憲法の全文改正および一部改正」である。

日本も、たとえば、人権規定部分に関しては、頻繁な改正の必要は考えにくいから、より厳格な改正要件を採用し、統治規定部分に関しては、大規模な変更をする可能性を考えて、それほど厳格な要件を要求しない、といった案も考えられる。







【参考文献】

渋谷謙次郎「ロシア」高橋和之編『新版 世界憲法集 第二版』岩波書店、2012
竹森正孝「ロシア連邦」初宿正典・辻村みよ子編『新解説世界憲法集 第2版』三省堂、2010
辻村みよ子『比較憲法 新板』岩波書店、2011

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